至素根譚 (しすこんたん/syscontan)

いい加減

 「いい加減」「サジ加減」「味加減」「塩加減」「お加減」「手加減」「湯加減」
「加減」は「加える」と「減らす」から成り立っている。
これらの言葉はどんな「単位」で表されるのだろうか?
 よその家で「お風呂」に入ったとしよう。
風呂から上がって、溢れる汗をタオルで拭いながら、
「いい湯加減でした」と言う。
この時の「温度」は「何度」だろう?
絶対的に「43度」と言い切れるだろうか?
それぞれの人によって異なることは当然である。
その時の「体調」「状態」にも関わってくる。
同じ「43度」であってもある時は「ぬるい」と感じ、またある時は「あつい」と感じる。
この絶対的でない調整を「加減」と定義している。
 したがって、統計的には「43度」がいいと主張しても当人にはどうでもいい話である。
「塩加減」も「?グラムが丁度いい」と言えない。
せいぜい「少々」と表現するしかなく、じかに自分の舌で確認するしかない。
また、仕事中に「手加減しろよ」と指示をされても具体的に言われる事は滅多にない。
後は自分で判断するしかない。
そして結果が出てからこう言われる。
「『手加減しろ!』と言ったではないか!この馬鹿者!」
 豊臣秀吉と石田三成との出会いに有名なエピソードが残されている。
三成はあるお寺の小坊主であった。
そこへ秀吉が訪れ「お茶」を頼んだ。
何杯かお代わりをした秀吉はお茶を入れてくれたこの小坊主に興味を持った。
何故か?
一杯目のお茶はとても「ぬるく」お代わりするごとに「あつく」なっていった。iikagen.gif
秀吉はこの小坊主を呼んでその理由を尋ねた。
すると彼はこう言った。
「おいでになった時は、汗をかいていらしたので『ぬるい茶』にしました」
「その後、落ちつかれたので『あつい茶』にしました」
その時々の状況に合わせた判断である。お茶にもいろんなお茶がある。
 我々はよく居酒屋のカウンターでこう言う。
「何か美味しいものがありますか?」すると
「今日はいいブリが入ったよ…」
「じゃ、それを貰うよ」
 主人は「どの様に料理しますか?」なんて尋ねない。
お客の好みを考えながら作る。
主人の好きな料理を作る筈がない。
お客が具体的な料理方法を主人に指示するなんてことはない。
主人のアドバイスに従っている。
美味しい物を主人に委ねている。
お客は美味しければ何でもよい。
 当然の話なのにシステムの世界では「主人」が「お客」に対して詳細に「料理方法」を聞いている。
言われた通りに何でも作っている。
とても不思議である。
「多くの機能」を搭載すればいいというものではない。
まったく同じシステムが異なるお客様に受入られるとは限らない。
「機能を加えること」しか考えていない人々が多い。
 何でもできるシステムを目指していった結果「普通の人々」が操作出来くなってしまう。
「過ぎたるは及ばざるが如し」
あまりにも皮肉である。
一番いい例は「家電製品」。最近は「単機能の製品」が望まれている。
「システム加減」ができるエンジニアいやこうなると
「アドバイザー」「コーディネイター」
と言った方が良い。
「機能を減らす見方」が必要である。
「加減」が最も大事である。
「システム加減」はその人の「センス」であり「マニュアル」はない。
「システム加減は如何ですか?」
「システム加減しなさい!」なんて言ったりして…
「加減」という考え方も「第3の見方」である。