至素根譚 (しすこんたん/syscontan)

半システム

 反抗期の「少年」と「母」の会話である。
「世の中、そんな甘くないわよ」(母親)
「世間が見ているわよ」(母親)
「世間って誰と誰と誰のこと?」(少年)
「………」(母親)
相手を説得する時「世間」という言葉を何気なく使う。
「俺はいいんだけれど、世間がなんと言うか」
分かったような分からないような…
「世」は「十」×3=「十十十」から成り立っており「三十年」である。
そもそも「移り変わること」を「世」という。
したがって「どんどん変わっていく場所」を「世間」と称している。
物のすべては「絶対的」ではない。
「無常」である。
にもかかわらず「絶対的システム」を作ろうとしているのは何故なのだろうか?
お客様に対しては「論理だけ」を前面に出し、あたかも「正義」のようにたたみ込む。
しまいには「犯人」と「捜査官」に似たような会話になる。
「ど~うするんですか?」(SE)
「右か左かハッキリしてください!」(SE)
「そんなこと言われてもよく分かりません」(お客様)
「分からなければ仕様書が書けません」(SE)
「………」(お客様)
 数ヶ月後、お客様の目の前に「画面」「帳票」が現れてくる。
すると、お客様は「要望事項」「考え方」をSEに対して一気に喋り出す。
「当初の打ち合わせ内容」とはまったく異なっている。
SEは嘆く!
「話が違うじゃないですか!」(SE)
「作ったプログラムは全滅ですよ!」(SE)
「本番はもう一ヶ月後ですよ」(SE)
「基本設計」「詳細設計」の内容に対して「絶対的」「固定的」にこだわることに「トラブルの元・素・基?」が潜んでいる。
悪いのは「お客様」か「SE」か?
人の考えは変わる。
数時間後にはさっき言ったことと反対のことを言う。
ましてや数ヶ月後なんて何を言ったかさえ憶えていない。
それが人間だ!神様ではない。
SE自身も月日が経てば考えが変わる。
「知らなかったこと」「分からなかったこと」が見えてくるから当然である。
お互い「よく分かった者同志」の打ち合わせではない。
「知らない者」と「分からない者」の打ち合わせであることを自覚しなければならない。
 「基本設計書」「詳細設計書」はあくまで最終的システムの内容を決定する為の「備忘録」と位置付けられる。
実は「基本設計書」「詳細設計書」はSEだけの為の「ドキュメント」であって、お客様の為のものではない。
システムがお客様の望んだ通り出来上っていれば「基本設計書」「詳細設計書」はあまり意味を持たなくなる。
うまくいっている時は、お客様は 「基本設計書」「詳細設計書」をほとんど見ない。
逆に熟読しだしたら要注意!
以後「いいはなし」は出てこない。

 「基本設計書」を基に作り上げた「半システム」をお客様に示しながら「詳細」を詰めた方が効率的である。hansys.gif
出来る限り目の前でシステムに組み込んでその結果を見せることが大切である。
すると、お客様の顔がほころんでくる!
複雑なものは持ち帰ればいい。
そうすると、お客様は
「いつ出来るんだ?」
なんて言い方をしなくなる。
今、お客様がSEに対して一番求めている技術がこの「半システム」作成技術である。
お客様の想像したシステムより「ちょっと進んだシステム」を示す技術。
経験なしでは出来ない技術である。
システムは、納品後にもどんどん変化していく。
「世の中のシステムってそんなものだ」
あれ~?言ってはいけない「言葉」を言ってしまった。