至素根譚 (しすこんたん/syscontan)

評論家

 昼食を済ませて、人々は食後のひとときを楽しんでいる。
ふと見ると将棋をさしている二人の若者。
どう見ても「ヘボ将棋」。
最近の出来事を話しながら楽しそうに駒を動かしている。
 数分後、見るとそこには数人のギャラリーが取り囲んでいる。
雰囲気は一変して「あ~だ」「こ~だ」と聞こえてくるのはギャラリーの声ばかり…
当人達は、彼らの解説を熱心に聞いている。
「ちがう!チガウ!違う!」
 いつの間にか次の一手をギャラリーが指示している。
その後、ギャラリーは「敵」「味方」に別れ「駒」を動かし出す。
それを二人の若者は静かに見ている。
ギャラリーのリーダー格は若者の背中に覆い被さるようにして「解説」しながら中指と人差指で「駒」をつまんでいる。
若者はその思考過程が理解出来ないまま「ウムウム」と、うなずくだけ…
 これは「勝負あり!」と豪語していたリーダー格も「詰めの甘さ」に気づき、局面が思わしくなくなってくる。


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すると、あれだけ大声を出していた彼らが静かになっていく。
数分後、そこには一人もギャラリーはいなく、二人の若者だけが残っていた。
盤上は「メチャクチャ」である。
如何したものか?
誰の「将棋」なのか?
だれが責任を負うのか?
「大きなお世話人」のリーダー格か?
「ヤレヤレ~!」とけしかけたその他のギャラリーか?
「リーダー格」に駒を預けた若者か?

政治評論家は「政治家」になれない人がやっている。
音楽評論家は「プレイヤー」になれない人である。
映画評論家は「映画監督」になれない人である。
そんなに言うなら自らやってみるがいい!
まあ納得できるのは「野球評論家」である。
何故ならば、彼らは全員「元野球選手」だからである。
では「システム評論家」(筆者の造語)はどうだろう。
 世の中ではまだ認められていない言葉だが、読者の周りにはそれらしき人々がいるに違いない。
ポイントはその人々が実際にシステムを作成したことがあるかどうかなのだ。
この世界、三年過ぎれば大昔である。
?十年前のシステム談義をして今のシステムを語る「御仁」が多過ぎる。
「似たようなもんだ!」なんて…
実際に自分自身でさわってもいないくせに…
人からの「又聞き」を自分の意見のように「ご発言」され…
 自分の仕事を最後までやり遂げるつもりがあるのなら、人の話は程々に聞いておいた方がいい。
評論している人々は決して、というよりもう「プロ」ではない!
でも年配者の前ではあまり「強気」な発言も出来ないし…
そんな時は、その場から早く立ち去ったほうが得策!
「トイレに行きなさい!トイレへ!」
そして、すぐには戻ってきてはいけない!
彼らの言う通りにすると「バカ」を見るのは自分自身である。
ふと後ろを見ると、誰もいない!
「進め!」と言ったのは「アンタ」だろうが…
いつも自分だけは「安全圏」にいて…(これだけは「スーパープロ」)
「自分の思う通りにやりなさい!」
但し、絶対に人の責任にしてはいけない。

「今日は飲みに行こうっと!」