至素根譚 (しすこんたん/syscontan)

私的システム構築論

 ある宴会での話である。
「おエラ方」の一人が「お猪口」と「お銚子」を持って「ニコニコ」しながら末席にいる筆者の前に座った。
お互いにお酌をしながら他愛もない話をしていた。
何故か途中から「システム構築論」の話になってしまった。
筆者としては「避けたい話題」であった。筆者の「専門領域」である。
その「おエラ方」は自分の「武勇伝」を語り、「それはスゴイですね~」と言って欲しかったらしい。
ところが「誉め言葉」が筆者の口からなかなか出てこない。
反対にひとつひとつの事象に対して筆者から「否定」「反論」されてしまった。
その「おエラ方」にとって「否定」「反論」は初体験のようだった。
きっと、いつも「ヨイショ連中」が取り囲み、適当に相槌を打っているに違いない。
 筆者が「論理的且つ明確」に「持論」を展開していく。
その「おエラ方」は、いい加減に話せなくなり、だんだん「マジ」になっていく。
そして、話が噛み合わなくなった。
ついに筆者はその「おエラ方」に言ってしまった。
「あなたは『システム構築の本質』を分かっていない!」(筆者)
その「おエラ方」の顔が一瞬「険しく」なった。
「いや~分かっているよ!」(その「おエラ方」/チェット強い語調)
ここでやめておけばいいものをさらに話を続けてしまった。
「分かっていませんよ!」
「『知っている事』と『分かっている事』は別物です!」
「『知っている』とは認めますが『分かっている』とは認めません!」
「同じシステムを作ることでも『自分で作る』のと『他人に作らせる』のとでは『行って帰って来る』ほど違います」
「あなたの論理は一度もシステムを自分で作ったことのない考え方だ」
「分かっていないが故に主張できる『空論』だ!」(筆者)
その「おエラ方」の顔がさらに「険しく」なった。
「僅かなお金を頂いて作らさせて貰うシステム構築論」と
「協力会社のSEの両頬を現ナマで引っ叩いて作らせるシステム構築論」
とでは根本的に話が合わない。
「十分なお金」「多くのスタッフ」「曖昧な納期」でしかも「自分がお客様」であれば誰だって何とかなる。
「一度、お金をいただいて自分で作ってみろ!」(筆者/心の叫び)
 冷房がとっくに切れた部屋。
何日も洗濯していない汗臭い「ランニングシャツ」ひとつ。
「ワイシャツ」「ネクタイ」はすでに「行方不明」。
あと数日で「本番」である。
うっすらと夜が明ける頃、ようやく出力された「リスト」をチェック…
「お~い!1円合わないゾ~!」(筆者)
「どこかで四捨五入していないか?」(筆者)
「まだダメか…はあ~」(筆者)
 頭が「モウロウ」としながらも右手でしっかりと「付箋」を付けている。
誰も「建前論」を言わない。
スタッフを「責めない」。
そこには「理想論」も何もない。
ここまできたら「やるっきゃない!」
筆者のシステム構築論は、
「僅かな予算」「限られたスタッフ」「未熟な技能」「ギリギリの納期」
そして「お客様のワガママ」「皮肉」「ダメ出し」 に耐えながら、
さらに上司からは「利益はあるのか?」と怒鳴られ、
他人からは「けなされること」はあってもけっして「誉められることのない」システム作りである。
 永遠に満たされることのない環境の中で如何にシステムを作り上げるか?
これこそが現実の「システム構築論」である。
「システムを作ったことのない人のシステム構築論」に「筆者の身体」が「異常・過剰反応(アレルギー)」を起こすことに気付いた。
相手が誰であろうと容赦しない。
プロボクサーの条件反射的に出る「右フック」に似ている。
筆者の「病的短所」である。
これがなかったら筆者の人生も変わっていたかもしれない。

以後、その「おエラ方」は筆者に口をきいてくれない。