至素根譚 (しすこんたん/syscontan)

ありがとう

「ありがとう」は漢字で「有り難う」と書く。
語源は「有り難し」。
この「有り難し」は「有ってほしいと望んでも有ることは稀である」という意味。
転じて「感謝」の言葉になった。

これには「主語」が抜けている。

夜、眠りについて翌朝必ず「目を覚ます」とは限らない。
主語は「命」であり「命、有り難し」から「有り難う」になっている。
「生きている」ということはとても「スゴイ」ことなのだ。
そして、毎日健康で、周囲には愛する人々がいるのだから、さらに「スゴイ!」。

「いただきます」には「何を」の目的語が抜けている。

目的語は「命」であり「あなたの命をいただきます」となる。
「あなたの命」とは、食卓に並べられる「野菜・魚・肉」等の「食べられる側の命」である。
全世界で「食べられる側にいない」のは「人間」のみである。

人は「介護」「死別」「病気」等の経験を通して今の自分を再認識する。
そして「穏やかな日々」「いつも通りの一日」が「幸せ」である事に気付く。
「ありがとう」「いただきます」の言葉が言える自分はなんと幸せなことか・・・

一方「不幸」を体験していないから毎日が「当たり前」だと思っている人々がいる。
朝起きたら「ご飯」があるのが「当たり前」。
毎月「お給料」が入るのが「当たり前」。
毎日「お酒が飲める」のが「当たり前」。
困った時「周りの人々が助けてくれる」のが「当たり前」。
思うとおりにいかないとすぐに「腹を立てる」。
「してもらっている」事を忘れている。
「自分ひとりで生きている」と思っている。
そして、自分は「不幸せ」だと思っている。
いつも「不平・愚痴」ばかり・・・
そこには「ありがとう」「いただきます」という言葉が出てこない。

そんな人が実は「一番幸せ」なのだ。

周囲には、自称不幸者(ふこうもの)が多すぎる。今日も、どこかの居酒屋で周りに愚痴っている。