至素根譚 (しすこんたん/syscontan)

あとがき

 筆者は頭があまりよくない。
小さい頃は「どうしようもない悪ガキ」であった。
母親からは、
「他の優秀な兄弟姉妹の足を引っ張らないように」
「大人になっても、世間様にご迷惑をかけないように」
とだけ言われた。八人兄弟の七番目である。
「勉強しろ」といわれた事がない。だから、勉強していない。
「優秀ですね」と言われた事がない。したがって「難しい話」ができない。
 本文の内容は「体系化」されていない。
「分厚い本」をそばに置きながら「理路整然」と物事を話すことが苦手のようだ。
内容の全ては、筆者自身の経験(痛い目)から学んだ事である。
学問的話ではない。「矛盾」だらけである。どうか、ご勘弁ください。
 周囲には「漢字がわからない単語」「聞いたことのない英語」を並べ立てて、流暢にはなす人がいる。どこかの「本」「新聞」の受け売りである。
本人は「講義」「説教」をしているつもりだろうが「放談」である。
簡単な事を難しそうにはなす。しかも、人を「馬鹿」にしたような態度で…
自分の知識をひけらかす事が「目的」に見える。
内容の中心に自分がいない。だから「感動」しない。

 一方「超年配者のお話」には「ありがたいお話」が多い。
一言一言が「ズシリ・ズシリ」とくる。
当人は、ただ淡々とはなしているつもりだろうが、内容が「体の奥底」から出ている為「納得」させられる。
本当は「難しい哲学」なのに、身近な例を「肴」にしてはなしてくれる。
「ストン」と心の中に収まる。話が終わるころには自然と涙が出てきてしまう。
「超年配者」が経験された御苦労は、筆者には到底真似ができない。
勝負にならない。
「超年配者」は、システムの世界と遠くかけ離れた話をされているようだが、一部の単語を「システム用語」に置き換えると「システム論」の本質そのものになる。
 何万円も払って聴くどこかの講演よりも、もっと「高度」な話なのだ。
しかも「タダ」で拝聴している。

「システム論」は特別な話ではない。
「人間の本質」「倫理」「見識」を置き去りにして、「システム構築論」はできない。

 以前、筆者の仕事場に「手取純一(てどりじゅんいち)」さんがいた。
手取さんは「ITスペシャリスト」であり、筆者の「先生」でもあった。
「情報技術の潮流」を分析し、自分の「ホームページ」から発信していた。
ある時、筆者に手取さんの「ホームページ」で「連載コラムをやらないか?」と持ちかけてきた。
それを引き受けて執筆しだしたのが事のはじまりである。
「挿絵」は手取さんの作である。
この場を借りて、厚くお礼申し上げます。

八島 治